『ぶれないプリン屋 知識じゃなく“思い”が大切』ルーチェファーム・今村哲也さん

『ぶれないプリン屋 知識じゃなく“思い”が大切』ルーチェファーム・今村哲也さん

売り切れて食べられないくらい美味しいプリン、それが今村さんが作る「太陽のプリン」です。
阪神淡路大震災の後、20代で始めたトラック運転手の仕事を皮切りに、およそ30年。
様々な職についてプリン屋になった異色の経歴の持ち主です。

プリンとの出会い、美味しいものを作る熱い思いについてお話を伺いました。

【12年前に食べたプリンが自分を突き動かした】
今村さんがプリン屋を始めるきっかけになったのは、芦屋のお店で食べたプリンだったそうです。
「それより美味しいプリンを作ろう!」と試行錯誤が始まりました。
牛乳、卵といった素材、焼き方を吟味し、何度も試食してもらって理想の味に近づけていきました。
しばらくはプリンの研究とリサイクル業の両立が続きます。

阪神淡路大震災で実家は全壊。
20代だった今村さんはトラックの運転手をするなどして会社勤めを始めましたが、
会社の倒産の憂き目にあい自分で商売をやろうと決意します。
一番最初のスイーツとの出会いは24,5年前。
雑誌でたまたま見かけた東京・代官山の移動式カフェに興味を持ち、
カフェと連絡をとってレシピを教えてもらい、
お菓子教室に通ってノウハウを学んで作れるようになりました。
「店主から、『レシピを教えてくれって言われたのは初めて。
でも、自分でいろいろ勉強した上で聞いてきてるから、本物だと思う。』
と言ってもらえ教えてもらえた」

【まずはゲリラカフェでブレイク!】
東京のカフェから教えてもらったレシピは、タルト、パンプキンプディング、ビスコンティなどでした。
工場はもちろんないので家に設備を入れて作っていました。
そして売る場所も最初は固定ではなく移動販売の形式をとります。
「三宮で服屋さんとか美容師さんに“何曜日に来ます!”といってまわっていた。
正直、僕がやり出してから、屋台がすごいブームになったと思う。
その中でも常にトップを走りつづてきた。
取材もいろいろしてもらって、まあまあ、有名やったと思う。」

しかしそんな大成功したカフェをあっさり3年で手放します。
自分の中でやりきったという思いと、そんな今村さんの手腕をかって、
神戸・南京町の一等地でクレープ屋さんをやらないかと声をかけられました。

しかし、その店も 盛況の中1 年ほどで閉店します。
「それから、ちょっとゆっくりして・・・北京オリンピックのころで、
銅の資材が値上がりしてたので3年間、回収と輸出業をした。」

カフェでもプリンでもない異業種に身を置く中でも、
今村さんその間スイーツへの思いと行くべき道を模索していたといいます。
「ドーナツかプリンかクレープ屋さんかで悩んでいた」

今村さんが向かったのはコンビニ。
「常にあるものって何かな、と考えたがプリンは絶対にある。
プリンはそんなに流行りすたりはない。普通のスイーツだが、
ここにこだわりをもっていたらすごく長く売れるのではないか、と思って集中した。」

材料と製法にこだわって作り始めたが、最初は常に廃棄の連続。
プリンはシンプルで作るのは簡単だが、温度変化などを見極めていかなければならないため、
体が覚えるまでとにかく作り続けたそうです。

そしてやっとこぎつけた知り合いの軒先をお借りしての屋台での販売は一年は続きました。
プリン一本でやっていくという気持ちに“ぶれ”はありませんでした。

そんな日々の中で、「神戸セレクション」との出会いが。 
セレクション関係者が食べてくれた際言われたのが、
「神戸にはいろんなプリンがあるけど、こんな美味しいプリンは初めて」
そのつながりから催事やチャレンジキッチンの商談会などに参加する機会が増え、
事業が拡大していきます。

ようやくお店を借りたのは今から約10 年前でした。
それでもお店で集客するのは難しいと見込んでいた今村さんは、
最初から卸売りを視野に入れていたそうです。

【思いが突き動かす…ほぼ一人で1万個のプリンを製造するバイタリティー】
出荷量は月間7,000個 になるそうで、そこに現在3か月に1回、
大手スーパーに3,000個を収めているといいます。
多いときは合わせて 1 万個のプリン製造。

繁忙期のお昼からパート従業員を入れる程度で、あとは自分ひとりでこなすといいます。
「会社として大きくしたいが、製造を任せるというのがなかなかできない。 」
とにかく、美味しいプリンを作りたいとの強い思いが、
自分の体に染み込ませた感覚しか今のところ信じられず、
それが任せられない理由になっているようでした。
しかも今現在も、美味しいプリンを作るための研究は続いているようです。

「常に進化させたくて、卵を変えてみたり。材料へのこだわりはぶれずにやっている。」
「休みの日は買い物にいったり、神戸の街並みや人の流れをしっかり感じに行く。
神戸のいい時の人の流れを知っているので、その時と比べながらどう変化しているのか?も
今後のことも考えて常に見ている。」

【プリンの次は純喫茶?!よりアナログに向かいたい】
そんな今村さんがプリンの次に考えているスイーツがあります。それは、ホットケーキ。
来年には三宮か元町でホットケーキ屋さんを開業しようと考えています。

イメージは純粋なホットケーキ 、純喫茶風のホットケーキを売りにしたコーヒー屋さん。
「アナログに戻していきたい アナログ70、デジタル30」
異業種に身を置くなど、転職を繰り返しながらたどり着いた、スイーツの世界。
そのバイタリティーについて今村さんは、
「そんなに考えない。やるぞ!といったら、とりあえず店を作る。できてから考えよ。
深く考すぎるとマイナスになる。今の神戸を見回すと、店ができてつぶれてできてつぶれて。
今まで自分がやってきたノウハウを学んできたことを実行すれば間違いない。
周りについてきてくれてる人たちが、すごい元気があっていい人たちで 応援してくれる。」
味がぶれてしまう商売をして儲けようと考えると店はすぐにつぶれる、
というのが今村さんの信条です。

今はとにかく太陽のプリンが忙しいとのことで、ホットケーキのお店までは1年ほどかかるというお話でした。

「 オーブンを一台、助手を一人 増やしたい。 知識はない。ただ思いだけでやってる」

とにかく美味しいモノを食べてもらいたいという思いが、
これからも今村さんの人生をつき動かす原動力になり続けると感じる取材でした。


LUCE FARM公式サイト
http://lucefarm.com/

※記事は取材当時の内容となります。

【記・撮影 谷口】

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